勝手な映画レビュー 3/3
≪つづき≫
さて、やっと今回の映画レビューをさせていただきます。
くどい様ですが、
※各作品、人物に対する表現や見解等は、勝手な個人的感想ですのでご容赦ください。人物に対しましては、敬称を省略させていただく事が多いですが、こちらもご容赦ください。また、本文中に一部ネタばれがありますので、作品をまだご覧になられていない方は十分にご注意ください。
これもメジャーな作品です。
クエンティン・タランティーノ監督の 『パルプ・フィクション』(1994年)
この作品を最初に鑑賞した時の感想は、
「あちゃ~。タランティーノやっちゃったな~。勘違いしちゃったかな。」でした。
やはり、同監督デビュー作の『レザボア・ドッグス』(1992年)が良かったので、かなり期待して観たのですが、その成功を受けて出演陣を豪華にしただけの作品になっちゃたかなという印象でした。
でも、それだけではないものも感じていましたので、日を改めてもう1度鑑賞をしました。
浅はかでした。
映画冒頭で題名の「パルプ・フィクション」の意味が紹介されるのですが、要約すると「質のよくない紙に印刷した、くだらないお話。三文小説。」みたいな感じです。
これを踏まえて鑑賞した時、作品がスッと私の中に入ってきて、その感想は前回と違い「いい!」でした。 観る時期等によって感想、評価等が違うという一例です。
本作は1つのマフィアに関わるお話をいくつかの短編にし、時系列を崩して絡め合わせたお話です。
私がタランティーノ作品に持つ印象をいくつか紹介しますと、
まず、ウディ・アレンじゃありませんが、男達がよくしゃべります。
「レザボア・ドッグス」では冒頭、テーブルを囲んだ男達がマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」の解釈について女学生なみに ”おしゃべり” します。
本作でも2人の男が、某ファーストフード大手M社のチーズバーガーについて会話します。
どうでもいい話ですが、何故か引き込まれて聞き入ってしまいます。
次に、音楽の使い方が上手いなと感じます。
前作「レザボア・ドッグス」でもそうでしたが、作品のためのオリジナル音楽ではなく、既存のアーティストの楽曲を使うのがとても上手です。 鑑賞後も、その楽曲の印象が強く残ります。
あえて音楽を使用しない作品もありますが、映画中の音楽はとても重要な要素の一つだと思います。
感動的な場面等では、効果的な音楽によって、よく泣かされます。
(個人的に感じた悪い例も紹介しますと、「セブン」(1995年・デヴィッド・フィンチャー監督)のエンドロールで、たしかデヴィッド・ボウイだったと思うのですが、彼の楽曲が流れます。これは選曲ミスだと私は思います。楽曲が悪いのでは決してなく、作品と合っていないのです。とても良い作品で印象的な映像と作品世界に引き込まれ、衝撃的なラストまでのめり込んで観ていたのですが、最後で台無しにされた気分になりました。)
映画と音楽といえば、”ミュージカル映画”があります。 実はこれが私、苦手なジャンルです。 普通に会話している人達が急に歌い、踊り出す。 理解出来ません。
とはいえ、感銘を受けたミュージカル映画もありますので、次回以降ご紹介したいと思います。
「パルプ・フィクション」に戻りますが、本作で私が一番印象的だったのは、
ジョン・トラボルタにつきます。
役どころはマフィアの用心棒という、褒められたものではないのですが、
なんと申しますか、「格好いい」のです。
特に何がでは無く、たたずまいが良いのです。
「サタデー・ナイト・フィーバー」以来のツイストまで披露してくれます。
彼は本作を境に、スターダムに復帰しました。
前述の通り、他の出演陣も豪華です。
「レザボア・・・」に引続き、ハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス。「ミッション・インポッシブル」のヴィング・レイムス。他、ブルース・ウィリス、ユマ・サーマン。ハノイでの捕虜生活から生還した軍人に「ディア・ハンター」のクリストファー・ウォーケンという洒落(?)みたいなキャスティングです。
トラボルタの相棒役のサミュエル・L・ジャクソンもいい味を出しています。
ファミレスで強盗を退ける場面は痛快であります。
マフィアのお話ですので、道徳的なものではありませんが、面白い作品です。
今回、書き出しましたら恐ろしく長くなってしまいました。
本当はもっと沢山書きたいのですが、次回はもっとコンパクトにする様に努めます。(反省)
それでは、また次回。 失礼します。
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