如月映画レビュー
映画レビュー@木下
新春のシリーズものレビューはまた持ち越しさせていただき、
今回はヴィム・ヴェンダース作品を二本書きます。
※各作品、人物に対する表現や見解等は、勝手な個人的感想ですのでご容赦ください。人物に対しましては、敬称を省略させていただく事が多いですが、こちらもご容赦ください。また、本文中に一部ネタばれがありますので、作品をまだご覧になられていない方は十分にご注意ください。
一本目は 『ベルリン・天使の詩』 (1987年 ヴィム・ヴェンダース監督)
サーカス団のブランコ乗りの女性マリオンに想いを寄せる天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)は、
永遠の生命を持つ天使であることを放棄して、人間になることを決意するというお話です。
コロンボ刑事ことピーター・フォークが本人役で出演していますが、
劇中での彼の素性が面白いですね。
作中の映像は、天使視点はモノクロ映像、人間視点はカラー映像で表現をしています。
モノクロ映像で映し出されるベルリンの街はとても美しいのですが、
カラー映像になると「あれ?」て思ってしまいました。
カラー映像だと美しくないという事ではなく、
モノクロだと自分の想像で色をつけているから、より美しいのだと思います。
映像表現として、モノクロとカラーを混在させた作品は数多くありますが、ダルトン・トランボ唯一の監督作品 『ジョニーは戦場へ行った』(1971年)もその一つでした。モノクロ映像をメインに、主人公ジョーの思考内、回想、眠っているのか、起きながらにして見ているのかも判らない夢の映像をカラーで表現していました。この作品については短い文章で書く言葉が今は思い付かないのでレビューしません。一つだけお話すると、恥ずかしながら私、主人公の名前はジョーなのに何故題名はジョニーなのかなと、ずっと不思議でした。今回、同作の公開年を調べている途中で知ったのですが、作品の原題は ”Johnny Got His Gun” (ジョニーは銃を取った)であり、第一次世界大戦時の志願兵募集のキャッチコピー “Johnny Get Your Gun” (ジョニーよ銃を取れ)を皮肉ったものなのだそうです。知りませんでした。
おもいっきり脱線しましたが、ベルリンの天使達の装いを見ていましたら、
最近着なくなったロングコートを押入れの奥から引っ張り出したくなりました。
最後に ”この作品を捧げる……” として数人の名前が出ますが、
その中の ”ヤスジロウ” とは小津安二郎監督のことです。
そして二本目は 『パリ、テキサス』 (1984年 ヴィム・ヴェンダース監督)
この作品は随分と昔に一度鑑賞をしたつもりでいましたが、内容を全く憶えていませんでした。
とても眠かったのでしょう、冒頭で睡魔に負けて眠ってしまった様です。
当然、内容は憶えていません。 観ていないのですから。 でも何故か鑑賞したつもりでいました。
今回はリベンジです。
鑑賞を終えて、何故もっと前にちゃんと観ておかなかったのか・・・。 とても良い作品でした。
赤い帽子を被り、ダブルのスーツ姿で砂漠を一人彷徨い歩く男。
男は何者で、何故そうしているのか、何処を目指しているのか。謎のまま話は進み出します。
やがて男は幼い息子と4年ぶりに再会し、二人は行方の分らなくなっていた妻(母)を見つけ出し
再会するために旅に出ます。(かなり大雑把に言うとこんなストーリー)
全編を通して流れるボトルネックギターの音色。 (いい!!)
名シーンとして名高い、男と女のマジックミラー越しの再会シーンが秀逸です。
男(ハリー・ディーン・スタントン)は女に向かい、
マジックミラー越しに自分の姿、正体を見せずに話し出します。
女(ナスターシャ・キンスキー)は姿、正体の見えない男に向かい、
鏡に映る自分の姿に話しかけます。
そして男は自分の方からだけ見えていた女の姿に背を向け、思いの丈を語り出します。
女は鏡の向こうに居るのが夫だということに気が付きます。
部屋の明かりを消すことでマジックミラーの効果を消し、暗い部屋の中の夫の姿を懸命に捜します。
初めてガラス越しに互いの姿を認め合います。
男は向き直り、妻に語りかけますが、妻の顔の上にはガラスに反射した男の顔が映っています。
男はある決意を持ってこの場に来ていました。
男は女を「愛しすぎている」が故に自分の望む幸せの形が叶わない事を悟っていました。
二人の間を遮るガラスを取り除き、ふれあうことなく男は姿を消します。
「愛」「愛する」とはどういうことなのか・・・・。
愛することにより、自分も愛されたい….。 愛する人を幸せにしたい。自分が幸せになりたい…。
愛する人も自分も幸せになりたい…。
愛するということは愛されたい、幸せになりたいということなのか…。
人を愛することは自分が幸せになりたい自己愛なのか…。
愛することでその人が不幸になっても愛するのか。それは愛しているということなのか。
愛することで自分や誰かが苦しみ不幸になるとしても愛することは止められない…。
愛する人の望みを何でも叶えることが愛なのか…。
愛するもののために自分の望みを捨て、自分を消すことも愛なのか…。
愛する人を幸せにし、自分も愛され幸せになれれば素晴らしいだろう。
おそらくは色々な形があって当然で、答えは一つではないのだろう。
また、観終わった時に随分と勝手な奴等だな、子供や弟夫妻が気の毒だなとも感じました。
でもこれも、そう感じるのは私自身のエゴで、「親子愛」「家族愛」それぞれの持つ価値観、愛の形で感じ方も違うのだろうなとも思えます。
そもそも「愛」「愛する」ということを定義づけたり、一つの形、尺度に当てはめ様とする事自体がナンセンスでおこがましいことなのでは…。
色々と考えてしまいました。
あと、ナスターシャ・キンスキーがとても若いです。 当たり前か・・・。
どの映画もそうなのですが、観終わった後に誰かと語り合いたいと感じる作品でした。
うーん。それにしても・・・・、
前回に続きこの私が「愛」とか「愛する」という言葉をこんなに多用するって・・・・。
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